苦しみを超えた先の無意味な成長

苦しみを超えると成長がある。
今までの人生で何度も経験してきたからわかる。これは確かだ。
しかし、その成長は自分の人生において必要な成長なのかと問われると分からない。

これまでの27年間意識的に苦しいことと直面し、成長しようと生きてきたことで得た成長は、資本主義社会における社会の一員としてより高度なことが出来るようになり、より報酬をもらえるようになっているという意味では意味のある成長だっただろう。

一方で、そもそも自分が本当にやりたいことすらわからず、どんな人生を過ごしたいのかすらわからない今は、そんな成長は自分が望む人生を手に入れるためにはいらない成長だったのかもしれないとも思う。

こんなことを考えるのは苦しんでいる最中だけだ。
苦しみを乗り越え成長し、安定期に入るとどうせまた何も考えず過ごす期間に入る。
それもこれまでの経験からわかっている。
おそらくこのまま何もしなければこの繰り返しで人生は終わっていくのだろう。
どこかでこの繰り返しを終わらせなくてはいけない。

そのためには人生の目的を決めなくてはいけない。
自分が人生でどんなことを達成したいのか、どんな人生を送りたいのか。
ただそれが一番難しい。
それをまだ見つけられていない。
分かってはいるけど出口が見えない。
もがいている。無意味な成長を積み重ねている。

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